【オールアバウト・アルムナイ】永田知子さんの退職ストーリー

さまざまな企業のアルムナイをその想いとともにご紹介していく企画「アルムナイ・アルバム(ALUbum)」。今回は、生活情報サイト「All About」などを運営する株式会社オールアバウトアルムナイの永田知子さんにご登場いただきました。

オールアバウト・アルムナイ永田 知子さん
フリーランス  ライター
永田 知子 氏

1995年に株式会社リクルート九州支社で、編集制作スタッフとして「九州じゃらん」創刊(1995年9月)を経験。1999年に上京し、短期で2社ほど経た後、2000年にサイトオープン前の株式会社リクルート・アバウト・ドットコム・ジャパン(現株式会社オールアバウト)に入社。2001年2月、「オールアバウト・ジャパン」サイト立ち上げを経験。2009年に退社し以後フリーランスのライターとして、現在福岡で活動

私とオールアバウトをつなぐ3つのポイント

  • オールアバウトへの感謝:個性あふれる多様な人たちとの縁をいただいたこと
  • 退職後も活きるオールアバウトで得たもの:度胸、自信、対応力、たくさんの熱い友人
  • 退職後の関係性:非公認の社内サークル「オールアバウト焼酎の会」など、一緒に食事やお酒を楽しむ関係

 オールアバウト(2000年〜2009年)への入社の経緯

一時渋谷にあった小さなネット会社に勤めていたのですが、広告代理店の営業の方が「リクルートが、新しく専門家を集めた情報サイトをやるらしいですよ」とリリースを見せてくれ、そこに「九州じゃらん」時代の上司の名前が取締役としてありました。ちょうど転職を考えていた頃だったので、その方へ連絡を取りました。すると即返信をいただき、2,3日後にはお話を聞いてすぐ転職が決まりました。1ヶ月もかかっていないと思います。

オールアバウト立ち上げの半年前で、ちょうど若手編集者を募集中でした。世の中的にも、雑誌からネットへ転向する編集者が出始めた頃だったと思います。私は取締役とのつながりもあって採用されましたが、「九州じゃらん」で創刊を経験していたので「根性枠」だと思います。0から1を作るのって、物凄くパワーがかかりますから。

オールアバウト・アルムナイ永田 知子さん

オールアバウト時代に携わった仕事

最初は、さまざまなジャンルの専門家が記事をアップする、ガイドサイトの編集者でした。キャリア、住まいなどチャネル毎に編集担当が付き、私は旅行やファッションなど数チャネルを担当。50サイトくらい(=ガイドさん50人くらい)担当した時期もあり、てんやわんやでした。

しかしこの時、個性あふれるたくさんの方々とお会いしたり交換日記のようにメールしたり、時に怒られ時に飲み、濃いコミュニケーションをさせていただいたことが糧となりました。小手先じゃない、私には私ならではのコミュニケーションがあると自分で認識し始めた時期です。

オールアバウト内で、企業が専門的なテーマを設ける広告サイトのプロデューサーをしていた時期もあります。航空、飲料、通販化粧品大手…など多業種の企業の方々とやりとりし、対応力と度胸に磨きがかかりました。非常に面白かった時期です。社内でも新しい取り組みの広告商品で、制作2人で40本ほど動かしていたので注目され鼻高々でした。ちょっと調子に乗っていたかもしれません。

また、プロジェクトリーダーとして、数多ある生活関連ガイド記事を主婦ターゲットに再編集したメディアをプロデュースしました。コミックエッセイが得意なメディアファクトリー(現カドカワ)から、新人漫画家さんの漫画を寄稿してもらったり、出稿いただいた白物家電メーカーさんとイベントをしたり、よく動きました。

最後に、30、40代働く女性向けのライフスタイルwebマガジンを担当しました。読者ターゲットが憧れそうな、キャリアのある先輩女性の方々にコラムで参加いただくなど、この時も新しい出会いがたくさんありました。また、我の強い後輩女子編集者たち数人のまとめ役なども経験し、9年在籍した間に本当に色々なことをやらせていただきました。

オールアバウトを退職した経緯

もともと3年で辞めて福岡に帰ろうと思っていました特に創業初期は走りながら多くの事を決めていかねばならず、どうしても長時間労働になってきつかったですね。事あるごとに「やめたいやめたい!」とブーブー文句を言い、迷惑な社員だったと思います(笑)。

しばらくして父が亡くなり、さすがに福岡に戻ろうと母に相談したのが、上場前。すると母が「そんな面白い時期に辞めたらいかん! ストックオプションをもらえ!」と。だよなぁと思っているうちに広告サイトの仕事がさらに面白くなり、辞める機会を失いました。(父の葬儀に取引先のサイバーエージェントさんから社長のお名前入りの花輪をいただきました。藤田さんがワイドショーで話題だった時で、田舎の小さな葬儀場にどよめきが…。母が「親孝行した」と言ってくれました。お会いしたことない藤田さんとサイバーエージェントさんに感謝です)。

その後、8年目で社内結婚をし、「そろそろ」と上司に伝えると、違うポジションにするからちょっと待てと言っていただき、1年伸ばして退社しました。直接のきっかけはサイトリニューアルが気に入らなかったことですが、結局タイミングだったと思います。

オールアバウト・アルムナイ永田 知子さん

現在の仕事/取り組み

現在フリーランスで、旅行をメインに福岡でライターをしています。3年前に独身に戻って帰福し、九州をベースに活動しています。九州じゃらん時代の後輩が声を掛けてくれたことから、当時お世話になった方々とまた一緒に仕事ができ、非常にありがたく感じています。

また、妹がヨガ講師でインドの先生に師事しているのですが、一人の弟子仲間と家族ぐるみの付き合いがあり、その家のお父さんが作っているアロエヴェラのサプリメントを私が輸入しネット販売しています。私自身アロエヴェラで重い便秘が改善し、体調が劇的に良くなったので、他にも必要な人がいるだろうと思い始めました。人生、いろいろです。

オールアバウトとのリレーション/アルムナイ同士のネットワーク

All Aboutとは今でも付き合いがあり、九州で取材が必要な広告案件など、時々仕事をいただきます。制作部のジェネラルマネージャーが広告サイト担当時のパートナーで、今も仲良し。あの時、熱く語り合っていてよかったなぁと思います、ほとんどが愚痴と恋バナでしたけど。

現役、OBに関わらず、「福岡に行くよ」と連絡をいただくと嬉しいです。いろいろなパターンで食べに行くお店を考え、ご一緒しています。取締役になった後輩に奢ってもらった時は、年月を重ねるのは面白いものだなとしみじみ思いました。

また、OBで東京の先輩Aさんから福岡へ行くと連絡をもらい、その後同じくBさんからも連絡をもらった時はBさんと示し合わせて、博多駅で私を待つAさんの前に偶然Bさんが現れるというサプライズを仕掛けました。同じことを今度はCくんと、天神の屋台でBさんにサプライズ。何かにつけて楽しんでいます。

オールアバウト アルムナイと東京で再会したときの写真
オールアバウト アルムナイと東京で再会したときの写真

古巣オールアバウトへのメッセージ

オールアバウトにいたのは28歳から37歳。仕事の幅がグッと広がり信頼されるようになり、コミュニケーション力が付いて自分に自信が持てるようになりました。たくさんの熱い友人ができたのも財産です。

ガイドさんと呼ばれる濃い専門家の皆さま、本音で議論し飲みもした取引先のお客さま、イケメンすぎる社長に可愛すぎる編集長をはじめ変な人が多かった会社のメンバー……。非公認の社内サークル、オールアバウト焼酎の会は永遠に不滅です(私、会長です)。

社内恋愛をして結婚、その後離婚も経験しました。これを書きながら、たくさんの出会いと体験を思い出しては嬉しくなり、涙が出ました。退社後もSNSのおかげで関係は続き、東京から福岡に移った今も連絡をもらえると私は幸せ者だなと思います。

オールアバウトは「人」を軸としたメディアで、そこが本当に面白いところ。今在籍している方々にも、人間関係を大いに楽しんでもらいたいです。来年か再来年、20周年パーティーがあると思うので、それをとても楽しみにしています。素敵な時間をいただき、本当にありがとうございました。

オールアバウト・アルムナイ永田 知子さん
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編集後記

現在は福岡でフリーランスのライターとして活躍されている永田さん。なんと、退職から10年が経ついまも「All About」とは仕事上のお付き合いがあるとのこと!企業と個人の関係性に重要なのは、「物理的な距離」でも「雇用形態」でもないのだと感じさせられます。

「人」を軸としたメディア「All About」に携わられた永田さんのキャリアも、まさに「人」との出会いが軸。

メディアのリリース記事で元上司の名前を見つけ、連絡を取ったことがきっかけでオールアバウトへ入社されたエピソードや、福岡でライターをされている永田さんに九州じゃらん時代の後輩が仕事を依頼してくれたエピソードを伺い、アルムナイとして新たな形で古巣・古巣メンバーと長期的にリレーションを築くことは、個人にとっても多くのチャンスが広がるのだと感じました。(アルムナビ編集部・築山 芙弓)