【ALUbum】レッドフォックスアルムナイ: 京和 将史さん

2019年06月24日

私とレッドフォックスをつなぐ3つのポイント

  • レッドフォックスへの感謝:「夢は実現するためのもの」ということを背中で教えてくれた社長、向上心を刺激しつづけてくれた優秀な同期たちの存在
  • 退職後も活きるレッドフォックスで得たもの:チャレンジ精神を持ち続けること、大きな目標を掲げてそれを口に出すことの大切さ
  • 退職後の関係性:EOで社長や先輩と会って話したり、同じ業界内の同期と案件の話をしたりする関係性

PROFILE

シアトルコンサルティング株式会社/代表取締役

京和 将史氏

早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業後、ITエンジニアとしてレッドフォックス株式会社に入社。2年目より営業職に転身し、トップの営業成績を3年間キープした。
レッドフォックス退職後、2006年にシアトルコンサルティング株式会社を設立。現在は東京・大阪のほか、ミャンマーにも開発拠点を置き、2019年の4月期には売上高17.5億円を突破した。

さまざまな企業のアルムナイをその想いとともにご紹介していく企画「アルムナイ・アルバム(ALUbum)」。
今回は、レッドフォックスへ新卒入社し、その後シアトルコンサルティングを起業された京和将史さんにご登場いただきました。

レッドフォックスへの入社の経緯

 

私が起業することを考えはじめたのは、高校生の頃でした。きっかけは、母親がガンを患い、42歳の若さで亡くなったこと。「人間は死んでしまったらそこで終わり。それならば、一度しかない人生を懸けて大きなことを成し遂げたい」と思うようになったのです。
起業したいという気持ちは大学生のころも変わらず持っていましたが、良いビジネスモデルが浮かばず、また明確な事業計画を立てることもできませんでした。「このまま無理に起業しても失敗するな」と思ったため、いったんは就職することを決意しました。

ところが、当時は就職氷河期。私が志望していた出版業界や広告代理店は特に競争率が高く、鳴かず飛ばずの結果となりました。
そのとき、すでに4年生の夏。大手企業の募集はほとんど終わっていたため、途方に暮れながら求人を探すうち、たまたまたどり着いたのがIT業界でした。

かねてより「後世に残るものづくりがしたい」という気持ちを持っていた私にとって、そのIT業界は、知れば知るほどとても魅力的な世界に思えました。
そこで、秋になっても募集を継続していたレッドフォックスの説明会に参加してみることにしたのです。
そのとき受けたレッドフォックスの印象は、とにかくオシャレ。
南青山で開催された説明会の雰囲気が垢抜けていて圧倒されたうえ、社長の別所宏恭さんをはじめ、社員がみんなすごくカッコよく見えたんです。

入社を決めたのは、ほとんど直感でしたね。

とはいえ、大学の同級生たちの就職先は、誰しも名前を知っているような有名企業ばかりで、当時ベンチャーだったレッドフォックスに入ることは、自分のコンプレックスでもありました。
会社のネームバリューではなく、自分自身の力でなんとか同級生たちを見返したい。その想いから、まず入社後は同期の中で絶対一番になってやろう、成り上がってやろうと決意したのです。

レッドフォックス時代に携わった仕事

 

しかし、早々に計算が狂いました。
同期はみんなものすごく優秀な人ばかりだったので、文系畑出身の自分は、技術では到底勝てないなと気づいたんです。
課題をスムーズにこなす同期を横目に、焦りと悔しさを感じながら研修を終えたのち、私は通信会社のプロジェクトに配属されました。

ここで「やっとものづくりに携われる!」と期待したのですが、実際に配属されたのはデータベースの性能評価チーム。
数値のチェックを延々とくり返す仕事はつまらなくて、上司に「辞めたい」と相談しました。

すると、返ってきたのは「辞めてもいいが、どうせなら何か残してからにしたらどうか」という言葉。
確かに、このとき私はレッドフォックスでまだ何の成果も出せていませんでした。そこで一念発起し、OracleMasterPlatinumの取得に向けて、猛勉強をはじめたのです。

同期と「一緒に資格取得を目指そう」と切磋琢磨しながら、毎日3時間睡眠で、トイレにも参考書を持ち込みながら必死に勉強しました。
その結果、ようやく取得できたときは「やっと成果が出せた」という達成感に包まれましたね。

資格の勉強のおかげでITエンジニアとしてもやりがいを抱き始める中、別所さんから直々に口説かれ、入社から2年目に営業へと転身することになりました。
最初の数ヶ月は営業の右も左もわからない状態でしたが、徐々に成果が出始め、配属6ヶ月目からはずっとトップセールスをキープできるように。当時、売上増を求められていた会社に貢献するため、とにかくがむしゃらに働きました。

そうして過ぎていった営業としての日々は目まぐるしいものでしたが、あの3年間で「仕事とお金の流れ」と「儲かるしくみ」をしっかり学ばせてもらったなと思っています。

 

レッドフォックスを退職した経緯

 

優秀な同期たちに負けたくないという悔しさをバネにがんばった1年目、レッドフォックスを立て直そうとがむしゃらに働いた2、3年目を経て、4年目に入った頃、本格的に起業を意識するようになりました。

というのも、無我夢中でやっていた営業の仕事が一段落し、忙しさのあまり忘れかけていた起業への想いがよみがえってきたからです。そこで、当時同じ営業の仕事をしていた同僚に話を持ちかけたところ、「京和さんと一緒ならぜひ」と、快諾してくれたのです。
こうして、在職中に起業の決意が固まり、退職する運びとなりました。

お世話になったのに辞めてしまったという負い目もあり、筋を通すためにも、退職から二週間後に別所さんのところへ挨拶に行きました。

正直なところ、怒られるんじゃないかと緊張していたのですが、予想に反して別所さんは「がんばってね」と応援してくれたのです。
「別所さんが応援してくれるんだ」と感動しました。今後の会社経営へのモチベーションをよりいっそう高めることになった出来事でしたね。


現在の仕事/取り組み

 

こうして2006年に立ち上げたシアトルコンサルティングは、独自に打ち出した「TeamTech」というミッションを軸に、SI事業やクラウド事業などを展開しています。

この「TeamTech」が生まれたきっかけは、起業と同年に結婚した妻の実家での「家族団らん」体験でした。
幼少期からずっと鍵っ子で、ひとりぼっちで過ごすことが多かった私にとって、大人数でワイワイごはんを食べるのは本当に初めてのことで、なんてあったかいんだろうと感動すらしてしまったのです。

そこで「家族みたいなあったかい会社を作りたい」と思うようになった私は、その思いを元に、起業2年目に「チーム・シアトル」というスローガンを打ち出しました。

しかし、そのスローガンの良さをどんなに説明したところで、お客様や候補者は「良い会社ですね」と思うだけで終わってしまいます。
それが悔しくて、「チーム・シアトル」の持つ価値の大きさをもっと伝えたい、と考えるようになりました。

そこで「チーム・シアトル」に客観的指標を打ち出し、事業化する計画へと乗り出したのです。
まずは、「チームワークの数値化」という前例のない研究を行うため、日本では数少ないチームワーク専門家の大学教授とともに、産学連携で取り組みました。
そうしてチームワークの構成要素を突き詰めるとともに、「TeamTech」というミッションが誕生したのです。

私は、現在IT技術のレベルが海外に優っているとはいえない日本人が、「個」の持つIT技術だけで世界一を目指すのは難しいと考えています。
IT大国のインドではおよそ450万人ものエンジニアがいるのに対して、日本のエンジニアの総人口はわずか88万人程度。その数には約5倍もの差があり、日本は絶対数が圧倒的に少ないため、天才が生まれる確率も決して高くはないのです。

しかし、日本人の協調性を活かした「組織」の力は、世界でも十分戦える武器となります。
たとえば、スポーツにしたって、個人競技では日本人は海外の選手に敵わなくとも、団体競技になれば勝てる、といったことがよくありますよね。
そのもっとも大きな勝因は、日本人の持つチームワークに他なりません。IT業界においてもそれは同じで、エンジニア個人のレベルではたとえ世界トップに勝てなくても、チームでなら世界トップに立つことができるのではないでしょうか。

そこで私は、ITにチームワークを掛け合わせた「TeamTech」というミッションを持ったシアトルコンサルティングが、未だ前例のない、日本初のITのグローバルカンパニーになることを目指しているのです。

グローバルカンパニーを目指すにあたって、私は自分がレッドフォックスの新人時代に学んだ「成功するために必要な二つの共通点」を新人たちに向けて伝えてきました。

まず1つ目は、勉強すること。
たとえばスポーツ選手でも、一流のプロほど誰よりも早く来て練習したり、毎日素振りを欠かさなかったりしますよね。それと同様に、たとえ一日一時間でも、毎日勉強する人とそうでない人の間には大きな差が生まれます。

「寝る間を惜しんで勉強した結果、OracleMasterPlatinumを取得できた」という私自身の経験からも、成功を収めるには勉強することが必須条件だと思っています。

そして2つ目は、打席に立つこと。
プロのトップバッターでも、打率はたったの3割5分程度。つまり、10回やっても6~7回は失敗しているのですから、新人が失敗するのは当然です。重要なのは失敗をしないことではなく、10回中8~9回失敗してもいいから、自分から手を挙げて挑戦していくこと。
うちの会社は新人がちょっと失敗したくらいじゃ潰れませんから、どんどん挑戦していってもらっています。

私がレッドフォックス時代に積んだ営業の経験は、まさに打席に立つことの連続でした。
もちろん失敗もたくさんしましたが、当時の経験が現在の仕事に活きているなと日々実感しています。

 

古巣レッドフォックスとのリレーション/アルムナイ同士のネットワーク

 

EO(年商$1MILLIONを越える会社の若手起業家・創業者の世界的ネットワーク組織)では、別所さんと、私と同じくレッドフォックスアルムナイであり、EVERRISE代表の倉田宏昌さんによく会います。

他のEO参加者から、よく「別所さんのところ出身なんだ。別所さんって変わってますよね」などと言われるのですが、別所さんは突拍子がないように見えて誤解されがちな方。
確かに傍から見たらわかりづらい部分もありますし、実際、レッドフォックス在籍時の私も、別所さんのことを完全に理解していたわけではありませんでした。

しかし実は、他社や他人との差別化を図るため、ものすごく一生懸命に考えたうえで、それを言動や行動に移しているんです。別所さんと同じ、社長という立場になった今、そのことをより実感するようになりました。

また、同じ業界にいて、今もつながっている同期とは、彼が前職に就いていたときも現在も、案件の話をよくしています。

レッドフォックスへのメッセージ

 

レッドフォックス時代は、別所さんの間近で仕事をすることができたので、そこから学べたことは本当に多かったなと思っています。

仕事で営業を任せてくれたことをはじめ、若手のうちにハイレベルな経験をさせてくれたことには本当に感謝しています。ときには、到底自分じゃ入れないような高級レストランに連れて行ってもらったことも。あのとき飲んだ2万5千円のワインの味は今でも忘れられません(笑)

別所さんの教えの中で、特に今でも自分が大事にしているのは「難しく思える目標でも、大風呂敷を広げて口に出す」ということ。別所さんは、一見無茶に思えるようなことでも、常に「いくぞ! いけるぞ!」と言っているんです。その影響を大きく受けていますね。

「夢を描くんじゃなくて実現する」という起業家としての使命を、すぐそばで体現しつづけてくれた別所さん。
普通はビジネス書を読むことでしか知ることができないような、凄腕経営者の背中を間近で見ることができたのは、本当にプライスレスな経験だったなと思います。

今の私は、「40代で売上高100億達成」が口癖。
幹部が社長よりも高い目標なんて言えるわけがないからこそ、社長自ら大風呂敷を広げることに意味があるのです。また、そうやって目標を口に出すことによって、それに影響を受けた社員たちの動き方が変わり、そこではじめて目標達成への道が拓けるのだと信じています。

また、そのように、今のレッドフォックスの皆さんが、別所さんが広げた大風呂敷を信じて、本気で食らいついていけば、レッドフォックスがさらなる進化を遂げることは想像に難くありません。
別のフィールドではありますが、世界一を目指してお互いにがんばっていきましょう。我々も負けませんよ!

 

 

編集後記


アルムナビ編集部
築山 芙弓

京和さんの経営者としての在り方、そして新人へ伝えている教えには、古巣レッドフォックスで培ったものが多く継承されていました。
退職してからどれだけ時間が経ったとしても…というより、時間が経つにつれてその絆は形を変えて、より強固なものになっているのではないでしょうか。

退職することに負い目を感じていた京和さんの背中を押したレッドフォックス社長の別所さんと、よく「変わっているよね」と言われる別所さんについて「誤解されがちな方」だと話す京和さん。
お二人の信頼関係が窺えるインタビューでした。