徳永真紀さんの退職ストーリー:ラジオ福島アルムナイ

2019年07月30日

私とラジオ福島をつなぐ3つのポイント

  • ラジオ福島への感謝:社会人として大切なことを、惜しみなく指導いただいたこと
  • 退職後も活きるラジオ福島で得たもの:生放送の経験で得た心臓の強さ、キャパシティの広さ
  • 退職後の関係性:同じ仕事に携わったり、元同僚の放送から学びを得ている。また、当時のリスナーさんからは現在も応援の声をいただいている。

PROFILE

フリーアナウンサー/イメージコンサルタント

徳永  真紀 氏

株式会社ラジオ福島にアナウンサーとして1998年新卒入社。報道、旅、スポーツなどあらゆるジャンルの番組を経験。
退職後、広島に拠点を移し2003年よりフリーアナウンサーとして活動。ラジオパーソナリティー、テレビ番組のリポーター、ナレーション、司会など幅広く手がける。現在オンエア中のラジオ番組「徳永真紀のWEEKEND CONNECT」をもち、広島でも朝〜夜を制覇した数少ないアナウンサーでもある。
2012年には、パーソナルカラーとパーソナルデザインから似合うファッションスタイルを導き出す資格を取得し、イメージコンサルタントとしても活動。個人コンサルや企業研修などを手掛ける。

さまざまな企業のアルムナイをその想いとともにご紹介していく企画「アルムナイ・アルバム(ALUbum)」。
今回は、ラジオ福島アルムナイで、現在はフリーアナウンサー・イメージコンサルタントとして独立されている徳永真紀さんにご登場いただきました。

 

ラジオ福島(1998年〜2002年)への入社の経緯


中学生の頃からラジオを聴くことが大好きで、何度もデリケートな思春期を救ってもらいました。いつしか「私もそんな仕事がしたい」と思うようになり、アナウンサーを目指すようになりました。局アナ受験はいわゆる全国行脚で、「早く合格したいなぁ」なんて思いつつも、仲間もでき楽しかったことを覚えています(笑)。
最初に合格をくださった会社が強い縁があると信じ、一番に内定をくれた会社へ行こうと心に決めていました。それが、ラジオ福島です。広島で暮らしてきた私には東北という未知の世界でしたが、不安よりも喜びとやる気が勝っていたのをよく覚えています。

一方で、広島から旅立つとき空港に見送りに来てくれた両親の涙も忘れられません。夢を叶えた私の就職活動を支え、何も言わずに送り出してくれた両親の気持ちにやっと気づき、その気持ちに必ず応えようと強く思いました。


ラジオ福島時代に携わった仕事


本当に多くの仕事を経験させてもらいましたので、何を話すか悩みますね…。
まだ私は2年目だったと思いますが、初めてメインを担当したワイド番組は、やはり苦労した分忘れられない番組です。生放送は6時間に及ぶこともあり、1日の4分の1はマイクの前で喋っていたという日もありました(笑)。最初は先輩のように上手くいかなくて、番組が終わると延々と反省会の日々。パートナーだったシンガーソングライターの高橋佳生さん、スタッフの皆さん、リスナーの皆さんたちに愛情たっぷり育てて頂きました。エンディング曲を作ってもらって歌ったり(すごいオンチなのに…)、野草を天ぷらにして食べたり、わりと何でもありで自由な番組でした。生放送というものは、「何とかなる!」ではなく、「何とかするんだ!」と腹を決め、自分のキャパをガツンと広げてもらいました。あのふっきれた瞬間を思い出すと、今でも身震いします。おかげさまで心臓に毛が生えて、今もガラスのハートを守ってもらっています(笑)。また、ラジオの醍醐味であるリスナーさんの近さを心身で覚えた私の根っことなる番組でもありますね。

 

ラジオ福島を退職した経緯


のめりこみやすい性格が災いし、寝る時間や食べる時間をおろそかにした生活がたたりました(笑)。
仕事が本当に楽しかったんです。夢中になり4年目を過ぎたころから体調を崩し、結果退職することにしました。今思えば、当時憧れていた先輩から譲り受けた報道番組の仕事で自分でプレッシャーをかけすぎていたのかもしれません。朝起きた瞬間から、「夕方の番組のオープニングトークは何にしよう?」と考えていましたね。休職も勧めて頂き、身に余る言葉もかけて頂いて感謝しかなかったです。でも、一人一人が責任のある仕事を沢山抱えている会社ですので、番組で私の代わりを誰かにしてもらうより、その誰か自身の番組になった方が、気持ちよく仕事をして頂けるような気がして退職の道を選びました。

最後の放送のあと、サプライズでリスナーさんたちが集まってくださったことがとても嬉しくて泣きました。またいつか、ラジオの世界に帰ろうと思わせていただきました。陰でご尽力くださった先輩にも感謝しています。

現在の仕事/取り組み

退社後はフリーになったので、これまでやったことのない仕事をしてみようと思い、テレビ、そしてラジオの中でもFM放送の世界へ飛び込みました。フリーとして、ずっとこうしてアナウンサーの仕事が続けていられるのはラジオ福島で基礎を作って頂いたおかげです。

ラジオ福島で「伝える」ということの大切さを学び、さらに深めていく中で、新しい表現方法にも出会いました。それが「服」イメージコンサルタントの仕事です。もともと服が好きだったことや、ラジオアナウンサーが故に知ったテレビでの挫折など様々なきっかけを経て、人の印象をコンサルティングしていく資格を取得しました。

これまでの経験を通して、私にとって「服」と「言葉」は、どちらも自分(の気持ち)を「伝える」大切な方法です。この2つを印象アップやコミュニケーションツールとして上手に使っていこう、という想いで番組や個人コンサルティング、企業研修などに取り組んでいます。クライアントの方に、アナウンサーなので分かりやすい!と言っていただけることも育ててくださった方々に感謝ですね。

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ラジオ福島とのリレーション/アルムナイ同士のネットワーク


離れてもやっぱり福島が大好きなので、辞めてからもちょこちょこ遊びに行っています。

でも、スタジオに足を運んだのは本当に体が元気になってからだったと思います。広島で経験と年齢を重ねても、やっぱりずっと初心に戻れる場所でもあり、独特の居心地の良さがありますね。また、先輩方や同僚のみなさんのプロとしての放送には、離れてもなお多くのことを学ばせていただいています。

奇しくも東日本大震災後、当分続いた全国ネットから広島ローカル放送に戻ってきた時の一声目が私だったんです。あの日からずっと、大切な福島のことを少しでもその温度で広島に届けられたらと思ってマイクの前にいます。震災後4年目の3月11日には、私がパーソナリティを務める広島の番組で、福島からの生放送を担当させていただきました。ラジオ福島時代にお世話になった方々と中継をすることができて、「違う理由なら本当に幸せだったのに…」と、とても複雑な気持ちになりました。あの気持ちは全てが解決するまでずっと忘れません。ああ、また福島に行きたくなりました(笑)。また、福島のリスナーさんたちとも今だに繋がっています。広島の番組にメッセージをくださったり、SNSで応援してくださったり、これもきっとラジオならではですね。

ラジオ福島へのメッセージ


ラジオ福島で5年、フリーアナウンサーになって15年。ちょうど3倍になりました。自分でも年を取ったな…(笑)とびっくりしています。
地元の広島でこんなに長く仕事に恵まれているのは、他のどこの局でもなくラジオ福島で育てて頂いたからです。1から100まで教えて頂ける会社で、努力の仕方や人との接し方など社会人として大切なことを、惜しみなく指導してくださいました。そのおかげで広島でも素晴らしいご縁に恵まれており、フリーになっても意外と聞けば教えてくださる方がいらっしゃる、とても有難い環境です。調子に乗りそうな時は、「徳永は声の出し方が素直だ。」と褒めてくださった新人時代を思い出すようにしています。素直が私の一番の長所なので、まだまだ伸びしろを持って頑張ります。これからもご指導よろしくお願いいたします。

 

 

編集後記


アルムナビ編集部
築山 芙弓

とても心温まるエピソード。
ラジオ福島を離れてもう15年が経つそうですが、新人時代に「声の出し方が素直だ。」褒められたことを思い出し「素直さ」を大切に仕事に取り組んだり、今も先輩や元同僚の放送に刺激を受けたりと、徳永さんとラジオ福島との間には、見えない絆が変わらずにあることを感じます。

また、当時のリスナーの方々とのつながりも続いている、というエピソードには驚かされました!仕事仲間に限らず、元クライアントやユーザー(今回はリスナー)とのご縁も、古巣を通じて得られる価値の一つですね。