【レッドフォックス・アルムナイ】新谷滋生さんの退職ストーリー

さまざまな企業のアルムナイをその想いとともにご紹介していく企画「アルムナイ・アルバム(ALUbum)」。
今回は、レッドフォックスへ新卒入社し、その後アビームコンサルティングを経てカーカージャパン株式会社を起業された新谷滋生さんにご登場いただきました。

株式会社カーカージャパン 代表取締役
新谷 滋生 氏
株式会社カーカージャパン 代表取締役
新谷 滋生 氏

1999年、アルバイトとしてレッドフォックス株式会社に入社。大手通信会社の顧客情報管理データベースの保守に携わったのち、同社の新規ERPのデータベース責任者を歴任。2002年アビームコンサルティング株式会社に転職し、社内最大のプロジェクトのインフラ責任者として従事。並行して自動車全般の修理やメンテナンスを行う中で、「タイヤに特化したサービス」に絞り込み、2016年に株式会社カーカージャパンを創業

私とレッドフォックス をつなぐ3つのポイント

  • レッドフォックス への感謝:野心を持った仲間と高め合える、成長できるフィールドを与えてくれたこと
  • 退職後も活きるレッドフォックス で得たもの:社長のそばで学んだ経営と事業の本質と、自動車業界にも応用できたシステム業界ならではの「効率化」「しくみ化」
  • 退職後の関係性:レッドフォックスアルムナイ専用のシステムやSNS上でつながって食事に行ったり、社長の誕生会に参加したりする関係

レッドフォックス(1999-2002)への入社の経緯

今でこそ、「コネクテッドカー」のコンセプトが謳われていますが、私が学生だった20年前は、まだカーナビすら一般化していない時代。しかし、大学でコンピュータをよくいじっていた私は、当時から「今後、コンピュータと車が結びつく時代が来る」と考えており、ストレートに自動車業界へ就職するのはやめて、まず、IT業界の門戸を叩くことにしました。それが、アルバイトのプログラマーを募集していたレッドフォックス入社の経緯です。

というか、自動車いじりにかまけるあまり、一浪+四留で大学卒業時すでに27歳、同級生に大きく遅れを取っていた私が、将来的に自動車業界で活躍するには、下積みをしている暇はなく、「まずはIT業界でコンピュータを極め、そのあとで、その頃にはITが必要不可欠になっているであろう自動車業界へ進む」という最短経路を取らざるを得なかったのですが(笑)。

株式会社カーカージャパン 代表取締役
新谷 滋生 氏

レッドフォックス時代に携わった仕事

入社当時のレッドフォックスは、まだ社員数が10人未満という小規模な会社でした。入社後、最初に携わった広告代理店のプロジェクトでは、周囲のエンジニアが脱落していったので、一人で必死に何画面も作ったことを覚えています。このとき、自分の力で仕事を切り拓き、現場で主体的に立ち回ることを学びました。

当時のレッドフォックスの仲間たちは、私と同じように、どこかで道を踏み外した経験のある、いわゆるはぐれものが多く、みんな「レッドフォックスで一旗揚げてやろう」という気概に満ちていたように思えます。そのため、「なんとしてもここで生き残ってやる」というギラギラした熱意が会社にみなぎり、お互いを刺激し合っていました。そんな成長に直結するフィールドを与えてくれたレッドフォックスには、今でも頭が下がる思いです。

そんな中、ターニングポイントになったのは、当時は保有者が珍しかったオラクルマスターの資格の取得でしょうか。レッドフォックスの社長である別所さんは、常々「価値観の差が利潤になる」とおっしゃいます。「他の人がやっていないことをやることに価値があり、それが成功へ直結する鍵である」ということを意味するその言葉は、同級生から5年も遅れを取り、焦っていた自分にとってまさに金言だったのでしょう。この資格が効を奏して、大手通信会社の顧客管理データベースの保守メンバーとして私に白羽の矢が立ち、ほどなくして苦労が報われた形になりましたから。

このデータベースは、今で言うところのGAFAが視察に来るようなレベルで、日本どころか世界を代表するもの。この経験が買われ、同社の新世代ERPのデータベースにおいても責任者に抜擢されることになりました。当時はインフラに精通した人間が少なくて、激しくも楽しい時代だった。20代だからこそ積めた経験だったなあ、としみじみ思います。

株式会社カーカージャパン 代表取締役
新谷 滋生 氏

レッドフォックスを退職した経緯

「いつかは自動車業界」、その投資として入社したレッドフォックスでしたが、大きな責任とそれに伴うやりがいにも恵まれ、「IT業界に骨を埋めるのもありかな」と思えるくらい居心地の良さを感じていました。

しかし、続いて携わった自動車メーカーのプロジェクトが、退職を意識するきっかけになったのです。というのも、扱うデータ上に普段自分が乗っている車に使われている部品の品番が出てくるなど、これまでとは違った楽しさを感じるにつけ、「やっぱり自分は自動車が好きだ」という長年の思いが蘇ってきてしまったからなんですね。

とはいえ、「自動車業界へ行く前に、IT業界を網羅しておきたい」という気持ちは変わらず持ち続けていました。そこで、レッドフォックスとは違うフィールドでの経験も積んでみたいと考え、アビームコンサルティングへの転職を決意しました。思い残すことなく自動車業界へ行くために、いよいよ最後のステップへと踏み出したのです。

ちなみにこの当時、私の収入は同級生の中でもトップクラスになっていました。大学ではまるっきり落ちこぼれだったのに、人間どうなるかわからないものです(笑)。聞くところによると、大学で誰かが留年して落ち込んでいると「新谷さんって人がいてね、8年も大学にいたんだけど、今は一番稼いでいるよ」と、慰めるネタに使われていたらしいです。

また、転職後の仕事と並行して、起業の準備も始めていきました。まずはガレージを借りたり、機械を揃えたりから始まり、知人友人から、面白半分でナビやETCの取り付けなどを請けるうち、次第に仕事が増えていって事業化していくことになったのです。

株式会社カーカージャパン 代表取締役
新谷 滋生 氏

現在の仕事/取り組み

現在は、カーカージャパンというタイヤ交換専門店の代表取締役を務めています。なぜ自動車業界の中でも、「タイヤ」それも「交換専門店」を選んだのか、首をかしげる方もいらっしゃるかと思います。

まず、ガソリン自動車から電気自動車に移行する中で、エンジン周りの仕事はなくなっていくだろうなと考えました。その一方、空を飛ぶ車が出てこない限り、タイヤは絶対になくなりません。それが「タイヤ」を選んだポイントです。

そんなタイヤは、自動車の購入後に交換するアフターパーツの中でもっとも高価なもの。とはいえ、Amazonをはじめとしたネット通販が主流となってきている今、販売だけではとても立ちゆきません。

ここで、レッドフォックスで学んだIT業界の栄枯盛衰がヒントになりました。そう、IBMがハードウェアからソリューションへ転換して成功したように、「モノを売ってなんぼ」という商売だった自動車業界でも同じことが起きるはず、つまり、店頭でのサービスに注目すれば勝機はあると考えたのです。タイヤ自体は誰でもネットで買うことができますが、その取り付け/交換には専門的な技術や機械が必要です。そこにたしかなニーズがあるわけです。

また、そのサービスが「安心」と「信用」によって成り立つものだということは、IT業界でも自動車業界でもまったく変わりません。

車は、お客様の命を乗せて走るものです。そんな車を支えるために欠かせないタイヤの交換で、どうすれば「安心」と「信用」を提供できるのか。考え抜いた末、極めてお客様本位な接客対応を軸に据え、タイヤ交換機器の本場であるイタリア製の機器を使用するなどの施策に結びつけることにしました。その結果、一般のお客様だけではなく、自動車ジャーナリスト様や自動車メーカーのエンジニア様にもご好評いただけるクオリティのサービスを提供できています。

今後は二号店の出店、交換済み中古日本製タイヤの海外輸出など、さまざまな野望があります。昔取った杵柄で、SEOでのネット集客→予約およびその通知→来店時のPOS(PayPayにも対応済み)→会計→給与計算までワンストップの社内システムを構築済みですから、土台は十分。さらに受発注はSFAでも管理しているので、今後の展開次第では、レッドフォックスの cyzen の導入もあるかもしれません!

株式会社カーカージャパン 代表取締役
新谷 滋生 氏

古巣レッドフォックスとのリレーション/アルムナイ同士のネットワーク

経営者になった今だからこそ、レッドフォックス時代にそばで見ていた別所さんの言動や行動を理解できるようになったと思っています逆に言うと、当時は未熟者ゆえわからず、時には反発すらしていてご迷惑をおかけしました……。

特に、先ほど触れた「安心」と「信用」は、別所さんからの影響を強く受けていると思います。

日頃から「お客様に安心を提供するのがプロだ」と口を酸っぱくして言われていたため、私自身、実はハッタリをかまして切り抜けたことも多々あります。しかし、結果的にそれでプロジェクトを成功に導いたのですから、たしかにサービスの本質だったのだと思います。

またある時、別所さんが「銀行から2億円借りた」と自慢げにおっしゃいました。当時の私は「借金なんて自慢することじゃないだろう、そもそも2億円も借りて大丈夫なのか」としか思えなかったんですね。しかし、経営者となった今はわかります。2億借りるためには、いったいどれほどの「信用」が必要なのか。

そして、自動車にたとえるならば、資金はまさにガソリン。ガソリンがないと車は動かないように、資金がないと会社は回りませんから。野望を叶えたければ、お金は欠かせないものなんですよね。

そんな別所さんとは、50歳の誕生会に駆けつけたり、新オフィスのお披露目会に参加したり、そうやって、今でもおつきあいを持たせていただいていることに感謝しています。

その他にも、レッドフォックス入社当時からともに修羅場をくぐった盟友とも言えるアルムナイとレッドフォックスアルムナイ専用のシステムやSNS上でつながって、焼き肉に行っていました。最近ごぶさたなので、ぜひまた行きましょう!

レッドフォックスへのメッセージ

当時は色々ありましたが……反発することも多く、まったく模範的ではない不良社員でご迷惑をおかけしましたが…今振り返ってみると本当に良い経験をさせていただきました。

現在はレッドフォックス時代に学んだことを活かして、目標であった自動車サービス事業を成長させています。

これからも昔のヤンチャさを忘れず、よりすばらしい企業に成長させていってください!

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編集後記

2002年に退職し、アビームコンサルティングを経て自動車領域で起業された新谷さん。

IT業界であるレッドフォックスとは異なる業界ではあるものの、顧客へのサービス提供や、経営者としての考え方において、レッドフォックス社長の別所さんの影響を受けているそうです。雇用関係ではなくなった今も、古巣のDNAが受け継がれ、共通の価値観でつながっているのですね。

また、レッドフォックスが新谷さんの退職からしばらく経った2011年にリリースした新サービス「cyzen」について、「いつか導入もあるかもしれません!」とコメントされました。在籍されていた当時にはなかったサービスの情報を把握されていることからは、レッドフォックスがアルムナイに対し会社の新しい情報を積極的に発信していることが伺えます。

退職から20年が経つ今も、新オフィスへ足を運んだり、社長の誕生日をお祝いするなど、新谷さんとレッドフォックスの変わらない絆がとても素敵だと感じました。(アルムナビ編集部・築山 芙弓)